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あらゆる双子は鳥である

四方田犬彦先生の、『すべての鳥を放つ』を読んだので、感想です。

タイトルは今回取り上げる小説のキャッチコピー「謎があった。あらゆる双子は鳥である」から。何度見返しても美しいセンテンスだ…。

 

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https://unsplash.com/photos/WPmPsdX2ySw

 

あらすじ

謎があった。あらゆる双子は鳥である。パリの博物館でこの言葉に出逢って以来、ぼくはもう一人の分身に囚われることになった。大学入学そうそう、彼に間違えられ、政治的な暴力を振るわれた。ぼくが追いかけているのは誰か。地の果てのマダガスカルに置き去りにされていることに、何の意味があるのか。問題なのはぼくの孤独なのではない。世界が孤独だという事実だ。最初の長編小説。(新潮社ホームページより)

 

 

感想:小説という体をとった哲学的実用本。この世の中に「本当のこと」は存在するのか? そもそも「存在」するとはどういうことなのか?という問いを小説の形で描こうとした小説。感想というより解釈が楽しい本だった。

 

帯、想定、そしてタイトルの美しさで手を取った。タイトルも引っ掛かりのある、緩急のある書体で「静謐な美しさ」という観念をうまく手に取れる形にとどめているように思う。

謎があった、あらゆる双子は鳥である。この言葉にぐっとこない文章好きはいないのではないか…? 謎であるのに、すでに解き明かされていて、大事なことは何も伝わってこない。この小説の本質をうまくついている文章ではないかな。

 

そもそも読んでいるうちに、これは小説なのか? と疑問に思うようになる本だった。私としては、考えるための本という意味で哲学的な実用書に近いような気もする。(哲学に関してはにわかでしかないからあんまり言及できない、あくまで「考えること」のための本という意味に留めたい)

生きているうちに、「本当のこと」を見つけることはできるのか? 果たして本質とは何か? この問いに対して文章の形で答えたようにも思える。

 

主人公や登場人物の人格やキャラクター性に重きは置かれず、その魂のところにすごく重点が置かれているように感じた。

読み進めていくうちに、主人公は、無知で素朴で、そのために特別女の子に可愛がられている「ザ・主人公」から、人格を引き剥がされた「主人公という記憶が連続した存在」の語り部に変わる。作中には四方田先生と同じ名前の登場人物が出てきて、現実と小説という幻想が崩されていく。

読んでいるこっちも、何を読んでいるのかがわからなくなってくる。何をしたいのか、何がわかるのか、そもそもこの小説は本当に小説なのかわからなくなってくる。しかし、四方田先生はわざとそれを体感させたかったのではないかと読後に感じた。

というか、読み進めるためには、そう解釈するほかなかった。いまだに「読む」ことはうまくできない、難しい…。

 

恋人の立場にある未紀は存在しているのかも怪しく、生きていると思ったらいつの間にか死んでいたりする。主人公はやがて、自分にすごく似ているらしいのに、自分とは違って、大学生時代から学生運動の暴力と直面し続けた「木村」という男を意識するようになる。そこで双子の鳥というモチーフが登場する。

双子の鳥に関しては、呪術について書かれた「金枝篇」に乗っていたような気がする……あるいはどこかで読んだ世界の民俗学の本かな……。

 

自分とすごく似ているドッペルゲンガーがこの世にいて、どちらかが死んでいればより簡単に生きることができるとき、そのドッペルゲンガーを殺したとして、果たして生き残っているのは本当に自分なのか? という命題がある気がした。

作中では栄誉や蓄えや家族は「本質」として扱われない。そこに生きていることという意味での「存在」や、連続した記憶という意味での「存在」も本当のこととして書かれない。最後になって主人公が木村に会った時にかわした会話やエピローグから考えるに、作中における「本当のこと」とは「存在するかどうかもわからない魂」のことかなと思いました。

「本当のこと」というのは生きていくことに必要なことではない。しかし、個々人における「本当のこと」を求めないのなら、生きている意味はない。作中で皮肉られる知識層とその成功の様子、主人公の孤独さとみすぼらしさはそこに起因するのではないか。

 

魂と何度も繰り返しましたが、私は魂のことをうまく言葉にできない。

今考えられる限りだと、その人がその人たるすべてのことかなあと思います。DNAレベルの個性や違い、生育環境、性格、今までの性格、肉体の形、周囲からの影響など、一人の人間を形作るには世界ひとつを存在させないと成り立たない。その世界ひとつぶんでようやく生まれてきた一人の人間のすべての原因になるものが魂かなと思います。

だから「問題なのは世界が孤独という事実」と書かれるのかなと。すべての鳥を放つときは、私にはこないと思います。本当のこと(あるいは本質?)を見つけることだけが人生でないから、本当のことを見つけずに死んでいく選択だってある。でもこの世界に生きる何人かが鳥を放つのかなと思います。これは「自分にとって本当のこと」を見つけられた人の話なんだと思います。そういう意味ではすごくハッピーエンドだよね。

 

この本の読み方はエンタメとして楽しむことではなく、自らが考えながら読むというところにある気がします。受ける人には受ける本かな。少なくとも私はたくさん解釈できた点で楽しかったです。

 

紹介図書:読むのに時間がかかったが、できる限り読解を頑張らなければいけない本と出会うことは幸せなことなので、解釈の難しい本を読んでみたいときにどうぞ

四方田犬彦『すべての鳥を放つ』(新潮社:2019年1月31日) 定価:2200円(税込)

https://www.shinchosha.co.jp/book/367110/