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カルチャー・旅行・試行錯誤

あなたもわたしもこの星にいる

東京で仕事を見つけ、暮らしていくことを決めたことにまつわる所感ブログ。タイトルは佐藤りえの短歌から。

どんなに遠くへ逃げてみたところであなたもわたしもこの星にいる

 

 

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父はその昔、香港に長いこと住んでいたらしい。その頃に母に出会い、結婚し、子供を設けた。私だ。

私はイギリス返還直後の香港に生まれ、幼児期を母の母国フィリピンで過ごし、それ以後18で上京するまで長野で育ててもらった。在学中は東京区外にいて、就職を機に23区内に引っ越すことになった。場所が違えば環境も変わり、付き合う人が変わり、生活が変わる。私の考え方も、居場所の遍歴とともに変化してきた。

 

暮らす場所の合う合わないは人それぞれだけど、私には今の暮らしが一番自分に向いている。都市周縁部の、その土地に根付いて暮らす人と、入れ替わる人とが層をなして作られた街並みや街の温度。ここを帰ってくる場所として定めている人が多く、自転車や徒歩で日用品の買い物に行け、都市部への導線が引かれている街。

 

田舎に住んでいると、それすら車がないと難しい。

私は最寄りの駅まで徒歩で二時間以上かかる田舎の、築五十年の木造建築で育った、都市的な暮らしやすさとはほぼ縁がなかった。「買い物」というのは車で15分かかるスーパーに食材を買いに行くことを意味していた。消費にまつわる娯楽は、二ヶ月に一回、他県の大きなイオンモールまで服を買いに行くこと、本屋さんで本を買うこと、この二種類に分けられていた。

読書やゲームやインターネット以外の文化的娯楽が乏しく、映画は一年に一度見に行く程度だった。映画はビデオ屋さんで借りてくるものだったので、最新作を劇場で見ることに意義を感じなかった。ましてや舞台やライブなんて遠い世界の文化だった。

 

地元は、私の生まれ育った土地は、標高が高く、山が美しく映え、水や空気が綺麗で、退屈と平和が一緒くたになっている場所だ。おじいちゃんとおばあちゃんがゆっくり道を歩いていて、挨拶すると当たり前に挨拶が帰ってくる。あんまり平和なせいで、鍵をかけない家も多い。きっとこういう高原に近い、穏やかで、自然と地続きな土地が住みやすい人も多いだろう。

でも、私はきっともうここに住み続けられないな、と強く思う。あるいは、信じている。

 

上京したことを後悔したことは一度もなかった。先輩にセクハラされても、ダサすぎる自分に絶望しても。犯罪率は地元よりもずっとずっと高いし、家賃も高いし、きちんと暮らしていないと惨めな気分になることが多いけど、それでも都会という環境は、私を最適化してくれる。お洒落をした人があちこちにいるということ、美術館や図書館などの文化施設にアクセスするのが当たり前という人が多いということ、政治やジェンダーに関心のある人とコミュニケーションできるということ。街に、都市に賑わいや活気があるということ。自分で、自分の思う美しいものを選べること。

 

田舎に住むということは、私が誰の子供かということは周知の事実であることで、誰がどこに進学したとか就職したのかというのは、コミュニティ内で共有されていくことだ。そして、私にとって、私の地元には、美しさを選択することに後ろめたさを感じさせる、平和と地続きの閉塞感があった。私の求める「美しいもの」たちは全て遠く、私のような人間の手の届かない場所にあるのだと諦めてしまいやすい空気が流れていた。

 

東京には、私の信じる「美しい」をより手に入れやすい環境がある。私にとって東京で暮らすということは、自分がいいと思ったデザインのお皿や、ワンピースや、知識や思想に、アクセスしやすい場所で暮らすということだ。それはありとあらゆる選択肢を増やすこととも言える。例えば夫婦別姓について人と議論すること、どのエアコンを買うか相談すること。(私の実家にはエアコンがない)

ここに住んでいる私は、私の考える美しいもの全てを物理的に諦めずにいられる。

 

美しさというギフトは、誰からももらえないし、どこに行っても買えやしない。両親から器や環境は与えられるかもしれないが、与えられてばかりの器では自ら輝きを発しにくい。美しさとはつまり、自分で自分に与える、自分にしか見いだせない、大切なギフトなのだ。

http://milieu.ink/column/aestheticより(最終閲覧日時:2020年3月9日)

 

塩谷舞(https://twitter.com/ciotan)さんのオピニオンメディア、「milieu」(http://milieu.ink/)の「美しくあること、とは」という記事から、特に美しい一文を紹介したい。

 

高校生の頃、あるいは中学生の頃、友達と遊ぶ場所すら自分ではほとんど選べなかった。でもいまは、どんな街でどんな遊びをするか、自分で選べる。自分の責任で考えられる。まずはじめから、諦めずにいられる。その環境が、私をまた、「生きていて気持ちのいい私」に育ててくれる。

 

パンの成形をしながら、居心地のいい自分でいられる場所を選ぶことも、ライフハックの一つかもしれないと考えた。求める大きさにパン生地をカットするように、住みやすい街を探すこと。居心地のいい土地がアイデンティティのフレームになることで、今までの自分と気持ちよく付き合えることも、きっとあるだろう。

 

引用メディア:milieu(http://milieu.ink/)より、「美しくあるとこと、とは」(http://milieu.ink/column/aesthetic)(最終閲覧日:2020年3月9日) サイトデザインから、エッセイテーマ、フォントに至るまで考え抜かれているウツクシメディアなので、センスを求める方はぜひ