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今すぐにキャラメルコーン買ってきて

タイトルは佐藤真由美の短歌です。今回は女の本を紹介するので、女の歌を引用しました。この短歌は読んだ人の解釈によって、背景が変わるので面白い。

今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて 

柚木麻子先生の『Butter』(新潮社:2017年4月21日発刊)を読んだので、その感想ブログです。あんまり読書感想を書くことはないんですが、今年は読書感想も書いて行きたいなと思ったので。

 

 

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あらすじ

男たちから次々に金を奪った末、三件の殺害容疑で逮捕された女、梶井真奈子。世間を賑わせたのは、彼女の決して若くも美しくもない容姿だった。週刊誌で働く30代の女性記者・里佳は、梶井への取材を重ねるうち、欲望に忠実な彼女の言動に振り回されるようになっていく。濃厚なコクと鮮烈な舌触りで著者の新境地を開く、圧倒的長編小説。(新潮社ホームページより)

 

感想:私たちは魂や言葉や体験を、分け合うことでつながっている。分け合えないのは豊かなのではなく、貧しく孤独なことだ。

 

柚木麻子先生を知ったのは、インターン先の読書会で、柚木先生が話し手を担当していらっしゃったことがきっかけだ。実は一言だけ話したこともある。(まあ話したというレベルではないだろうが)

シスターフッド(女同士の連帯)を書かれている作家ということで、一度は読みたいと思っていたが、まさか企業研究の一環で読むことになろうとは思ってもみなかった。

 

私も名前と簡単な概要だけは知っている「キジマナ」事件(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD%E5%9C%8F%E9%80%A3%E7%B6%9A%E4%B8%8D%E5%AF%A9%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6)を下敷きに書かれた作品で、愛人を職業に生きてきた女・梶井と、痩せ型キャリアウーマンの里香、幸せな専業主婦となった里香の親友・玲子の3人がメインキャストとして登場する。

 

梶井は、王道で正統な血統を持つ「美食」をとみに愛していて、自分の代わりに里香に食べて感想を言うように告げる。取材のためだから、と梶井の言う美食を辿っていくうち、およそ「欲望」や「飽食」といったものを知らない里香は、それのみで生きてきた梶井にだんだんと惹かれていく。「エシレバターのバター醤油ご飯」とか「セックスした後に食べるバターラーメン」とか「一流レストランのフルコース」などが紹介されるのだけど、ことごとくバターが出てくる。しかも美味しそうなんだこれが……。読んでいる途中で耐えられなくてバターを使ったメニューを食べてみたくなること請け合いだ。私がそうだし。

 

特にバター醤油ご飯の描写が本当に美味しそうで、耐えきれずにその日バター醤油ご飯を食べてしまった。エシレバターはずっと気になっていたのでいつか買ってみたい。梶井は美味しいバターを食べると落ちる気がする、といっていたが、これに似た表現を江國香織先生が「雨はコーラが飲めない」だかで書いていたような気がする。出てきたバターをそのまま食べてしまう幼年期の先生の思い出のエッセーだったような。

バターは途中まで固形だが、すぐに融点を迎えて溶けていってしまう。いつの間にか口の中にはその濃い余波や余韻だけが残っている。味よりも密度や濃度の方がずっと強いから、「落ちる」のかなと考えた。

 

主役の里香より、梶井や玲子の方が私には印象的だった。

梶井が「七面鳥を食べにきてください」という里香の言葉で泣いてしまうところ、それなのに里香を紙面上で弾劾するところに、彼女の本質が現れているような気がする。自意識や、自尊心でどうにもならなくなってしまった、「女」という生き物の成れの果て。

自分はこんなんじゃないと思いながらも、現実に負け続け、勝てるステージだけで成長もせず、現実を見ずに育ちきってしまった。だから彼女は「落ちる」しかない。彼女のために社会は存在しない。世界が振り向くのを、彼女はずっと待っていたんだろうなあと思う。

里香は彼女の友達になれなかったけれど、それは彼女が心の脂肪を落としきれなかったからだろうなと思った。作中に「適正」という観念が何回か出てくる。里香も玲子も自分の魂の適正を測りながら生きている。だけど梶井は過剰に愛されること、注目されることだけを求めてしまった。彼女の不幸は、友達がいないことなんだろう。そして分け合えないことだ。

森瑤子先生の本の中で(タイトルは忘れたけれど)「飽食ののちには寂しさしか残らない」という一文があり、なぜだか忘れられず覚えているのだが、梶井はきっとずっとさみしく、だれかを攻撃して、何かを貶めなければ生きていけなかったんだろうなと感じさせる。

先生は女のことを書くのが本当にうまい。梶井は人間ではなく、「女」でしかなかったんだろうなと考えながら読んでいた。この作品には、女性に刺さる描写がいくつもある。男女は問わないけど、やっぱり女性に読んでほしい。

 

中島敦の「山月記」で、「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」という言い回しがあるが、彼女はまさしく虎になってしまったんだろう。ちびくろサンボの虎たちは実は彼女なのかもしれない。

 

余談かもしれないけど、表紙がこっくりとした手触りなのも良かった。手触りを楽しめる点で、やっぱり紙の本が好き。体験に「深さ」というパースペクティブを与えてくれるのは形なんだろうなあと思う。

 

 

 紹介図書:バターを用意してから読んでください

柚木麻子『Butter』(新潮社、2017年) 定価:1760円(税込)

https://www.shinchosha.co.jp/book/335532/