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薔薇には薔薇のわけがあろうに

 

 思索です。タイトルは松野志保さんの短歌より。

 

惑星に 寄生する花 とがめるな 薔薇には薔薇のわけがあろうに

 

ものすごくすき、ものすごくきれい。

 

 

 日本では若い、もはや若いを通り越して幼い女性がモテることはよくあるし、若さが消費されやすい社会であると思う。かわいいと若いって紙一重だし。

 わたしはロリコンがきらいだけど、こういうみんながなんとなく共有している感性を批判する気はあんまりない。価値観はそうである以上の意味を本体は持たないと思うし。だから今回は単純に、若いということが、ただそれだけで人を救うことはあると思う、という話をしようと思う。

 

 

 わたしはいま二十歳で、もうすぐ二十一になる。十歳のころより、今のほうが色んなことを覚えたり、忘れたりしている。十四歳のころより、今のほうがあるものごとに過敏になっていたり、逆に鈍感になっていることもあるだろう。

 二十歳になって分かったことは、もう十六歳のころのような、良くも悪くもエネルギーの強い文章は書けないということだった。浴びるようにインターネットの文章を読み、それと同じスピードで文章を書いていた、あのぐつぐつと煮込まれたような傾倒のエネルギーを、今のわたしが出すことはできないだろう。

 文章ですらそうなのだから、もしその時の私といまのわたしが対峙したら、体や全体のかんじから噴き出るエネルギーにきっと負けるだろうとも思う。わたしは別に元気はつらつな高校生ではなかったけど、年若いということが生む、あの無謀なかんじ、警戒心と自尊心とが入り混じったけものみたいな身体の熱さ、目の色が無条件的に明るい、あの光を目の当たりにしたら、後悔と気恥ずかしさに負けて、死んでしまうかもしれない。

 

 

 

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 女子高生や小学生男子がものすごく無敵にみえるのは、自分や環境を巻き込んでしまう勢いにあると思う。でもたいていそういうことは、自分がその歳のときにはちっとも気づけない。それが人生のミソなのかもしれないけど。

 わたしは一年前、あるいは小学生の時、自分には力がないと思っていた。振り返ってみると、できることやしていなかったことが分かるものだけど、そのときはそのときの生命力を適切に使っているものだと思っているのだ。いまのわたしを、五年後の私が見たら、きっとなんて勢いのある生き物だと思うように。

 たぶん、若いっていうことは、無条件であること、愛情そのものであること、自分を知らないこと、信じていること、体やこころがむきだしであることをいっしょくたにしたものなんじゃないかな。

 

 

 小さな赤ちゃんや、若い猫や、年下のきょうだいの身体がやわらかくて、のびやかに解放されていて、何にもう疑わずに自分にあずけられているとき、たまらなくなる。生きているかんじや、じんわりした熱っぽい重さ、呼吸が自然なこと、なんとなく眠りそうな気配。安心されていることや信じられていることに、安心する。

 こういうとき、若い命はおもいきり存在というだけでなにかを救ってしまう。

 だからやっぱり、若いということにはどうしても価値があるし、それを否定することはできない。最も力のない、ただそこにいるだけの生き物こそが、自分を支えてくれていることが分かってしまう瞬間は、あると思う。

 

 

 

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 若いこと、生まれたての生命エネルギーの癒しの力がすごければすごいほど、そして自分がみすぼらしいほど、その光は輝かんばかりになる。だから若さはお金になることがある。愛人や風俗やホストたち。モデルや俳優や歌手たち。特有のやさしい光を帯びている、美しいものたち。甘い水、緑の風みたいなものや、夜に光るこけのような、そこにあるだけでなんとなく救われてしまうものは存在する。若さはたしかに付加価値になるだろう。

 

 

 でもそれは、誰かが支配していいものではない。

 それと同じくらい、誰かに支配させていいものじゃないのだ。

 

 

 今の日本人の若い人たちは、最も人を殺さない世代である代わりに、もっとも自殺する世代らしい。一見安全そうだから気づかないだけの、ストレスや負荷に鈍感になることを、もっと怖がっていいと思う。嫌だなと思う気持ちをもっと尊重してもいい。自分が何が嫌いか、分かっておくほうがいいのだ。

 何が好きか、どうしていきたいか、何を仕事にしたいか、どんどん感じて考えていこう。いつか若さという勢いを失ったとき、自分で選んできたという実感さえあれば、きっと死なないで済む。

 そして、自分とは別の存在の、めんどくさくて愛情たっぷりな存在の、甘くて何もかも許しちゃいそうな笑顔に助けられることもあるだろう。自分がむかし、だれかにそうしてきたように。

 

 

2018/07/07